いつが始まりだったのか、実はよくわからない。
もしかして、それは私が生まれたときからで。生まれたときからのたくさんの積み重ねが、大人になって噴出したのか?
でも、それを決定的にしたのは、平成9年のことだった。
実家を離れてはじめての一人暮らしが始まった。大学を卒業して新卒で就職した先は大阪だった。待望の一人暮らし。期待と不安に満ちた出発。
けど、仕事面ではすぐに挫折した。営業部員だった私は、右も左もわからない街で途方にくれた。暗い雑居ビルの一室に飛び込む、いわゆる飛び込み営業。何もわからない新人は元気だけがとりえのはずが、冷たい言葉と冷たい態度と冷たい視線にさらされ、ドアを開けることさえ怖くなって、私は逃げ出した。
偶然ひとつの契約が取れて、その直後に辞表を出したのがよかったのか、その会社で事務職として残ることとなった。デスクワークは私には向いていて、順調な毎日が始まったかのようだった。
就職をしたのは、広告代理店だった。毎日伝票や新聞をさわり、家事をし、大阪の水を浴びると手が荒れてきたのだ。髪の毛もぱさぱさする。手には小さな水泡ができてかゆい。いわゆる主婦湿疹というものだった。
あまり何も考えずに、職場の隣のビルにあったU皮膚科をたずねた。
U皮膚科の医者は、少し年配のおじいさんといってもいいくらいの感じの人で、私の手を見て次に顔を見てこう言った。
「手は主婦湿疹というものですね。軟膏を出します。顔にも少しにきびがあるね。薬塗ったらよくなるよ」
私はその言葉を聞いて、少しうれしくなった。病院でにきびを治すなんて考えたこともなかったからだ。普段気になるほどにきびがあったわけでもなかったし、少しおでこにぽつぽつとできたりできなかったりする程度だった。
そして言われるがままに、にきび用の薬と手の湿疹用の薬をもらって帰ったのだった。
にきび用の薬はその病院で調薬していたのか、無地の容器に入った白いクリーム状のものだった。手の湿疹用の薬は、リンデロンV軟膏だった。
薬はとてもよく効いた。にきびはすぐになくなった。顔が全体的にすべすべとしてきて、私はうれしくなってしまった。
手の湿疹もよくなったが、やはり洗剤などをじかに使うとかゆい湿疹が出るので、洗い物をするときには手袋をしたりして、気をつけてすごすようになった。
医者から詳しい薬の説明などはなかった。
「悪くなったらつけて」そう言われただけだった。医者のその言葉どおり、にきびが出たところにその薬をつける日々が、2〜3ヶ月続いたころ、頬のあたりがカサカサして赤みがかかっているのに気づいた。U皮膚科で聞いてみると「じゃあ、コレ塗って」と今度は白いチューブに入った軟膏をもらった。
またのその薬はよく効いて、薬をつけるとすぐに症状は消えて、また1週間から10日ほどするとカサカサや赤みが出てくるので薬を使っていった。
私は何の疑いもなく、薬を使い、常用していった。これが闇の中へ足を踏み入れる一歩になろうとは思いもよらずに。